2011年6月 3日 (金)

オーストリアから帰ってまいりました。

オーストリアアルプス・スケッチ旅行から帰ってまいりました。ドイツ・ミュンヘンから専用のバスでザルツブルクへ。アルプスをバックの美しい村々を描きながらインスブルックを通り、ミュンヘンで一日過ごし帰路につきました。

一週間以上道場を空けましたので私たちはもちろん、みなさんも身体が鈍ってしまったのでは。日本に着いて23日は感覚が戻りませんでした。

成田空港の長い「動く歩道」をいくつか歩いた後、節電か故障のために停止している歩道に足を踏み入れた時、滑りそうな感覚に襲われ少々バランスを失ってしまいました。動かない「動く歩道」を歩き終わり通路に足を出すときにも慎重になってぐらつきました。頭では理解しているのに身体のほうが学習してしまったのでしょうか。こんな短い時間に覚えた感覚はすぐに回復しますが、何年もかかって身に付けた悪い動きの感覚は修正するのに苦労するのですね。

《抜刀の鞘離れ前の留まり》

居合において、抜付け時の鞘離れ前の「留まり」が注意されることがあります。一瞬でも刀の動きを止めることは即、命を失うことで、「序・破・急・」の抜き付けはまずいのではと。

 私は鞘引きと共に刀を抜き出すときに、序・破と速度を速め、鞘離れの一瞬を急と考えていますので、「序・破・・急」のことと思いますが、当然、一休みするような「留まり」は話しになりません。しかし、1本目「前」などのように敵の抜刀しようとする瞬間をとらえ、相手の間に一気に入り、「気」で先をとる技は、相手を抑える「止まり」に見える一瞬があります。相手に居付きを起こさせてしまえば斬らずに済むこともできます。

「月影」のように、刀を上段に振りかぶろうとする敵の「陰」に入る技は決して「止まり」があってはなりません。

《一瞬の状況判断》

 JR特急列車「スーパーおおぞら」の脱線炎上事故の2日後、旭川教室のためJRを利用しましたが、指定席にかなりの空席が目立ちました。この事故のせいかななどと思ってしまいました。

 幸いに大惨事を免れましたが、社外に出た乗客の判断が誉められ、車掌の判断ミスや、JR北海道の体質が問われました。

 でも、もし下りた乗客に事故があったりしたら、「車掌の指示に従わなかった若者の勝手な行動」とかなんとかと非難されるのでしょうね。

 乗務員も乗客も、最後は自己の判断、自分の責任で行動しなければなりません。「誰それのせいで」と他に責任をなすりあうのでは政治家とかわりません。

 まわりがよく見えて臨機応変に行動するためには常に自分のアンテナを磨いておかねばなりません。状況判断を養うのも武道修行の目的の一つです。

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2011年4月 7日 (木)

道着にしみ込んだタバコの臭い

小学生コースに道着にタバコの臭いのする子がいました。

車で連れてくる父親が車内でタバコを吸うらしく、時々顔を出す母親に注意をしますが、あらたまりません。

先日はかなりきつい臭い。相手をする子供やタバコの臭いの嫌いな私も大変ですが、何よりも有害物質を多く含む副流煙にさらされている子供が可哀そう。

迎えに来た母親に少し強く訴えました。

その晩、父親から電話が来ました。

「○○を今月でやめさせます」の一言。

私の気持ちが通じなかったことにがっかりするとともに、あきれてしまいました。

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腰の落とし

このところ、背後からの攻撃に対する技や、敵の後ろに回る技など多くやりましたが、足の裏を浮かしての膝(腰)の落としが色々な場面で使われましたね。

しっかりと脱力して、仙骨を立った状態にするなど、色々な要素が一致して始めて、相手を簡単に崩すことができます。意識を持ったくりかえしの練習で必ずできるようになります。

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2010年11月26日 (金)

大会の後が大事

居合の大会が終わるとパタッと稽古に来なくなる人がいます。相手のいない居合を甘く見ていますね。

大会が近くなると出席率が高くなりがんばってくれます。それに応え注意指導をしますが、その時、外見は直せても本当の刀や身体の運用は身についていません。繰り返し繰り返し稽古をしてはじめて身についた形として現れます。ですから、稽古をして直したはずなのに大会演武で悪い癖が出てしまいます。せっかく気づいた癖や悪い動きも、大会が終わり稽古が途絶え、再び大会前に慌ててやっても身につかない。その繰り返し。継続していて様々な気づきがあり成長していきます。器用なだけでは大成しませんよ。

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日常の歩きこそが大切

居合の歩きとふだんの歩きは別物でしょうか。歩行中に攻撃された時に突然居合の動きになるはずはありません。武士は常に油断のない、いつでも鍔に手が掛かり抜刀できる手の位置や歩き方をしていたはずです。不覚を取っては我が身ばかりか、お家の恥になりました。

今の私たちの居合は近代剣道の歩法を取り入れているので日常の歩みと違っているのでしょうか。古流剣術の多くが後ろ足の踵を上げる構えはとっていません。中心線上に踵が近づくことにより、体軸が左右にぶれずに踵によく載り、腰の高さを変えずに移動する歩法を行なえば、つま先の蹴りに頼らずに踵から力を伝えることのできる居合が可能になります。そして日常もステキな歩き方になります。

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2010年4月10日 (土)

一本捕

 大東流の一カ条一本目の技が「一本捕」です。様々な古武道の最初の技はその流派の代表的な技であり、基本であり、極意が隠されていると言います。

 今時、正面うちで攻撃してくる者はいません。この技を通しての崩しの基本、身体の使い方、更には心気の作用を知ります。正確に形を覚えただけでは技として通用しません。正面打ちを上段突きに変えたら「できません」では困ります。

 この技の究極は刀で切ってくる者への無刀捕りであり、研究すればするほど味の出るおいしい技です。

 手首を掴んでくる者もあまりいないでしょう。これも形のみを覚えても意味はありません。脱力や伸筋側、皮膚感覚の意識、「掴まれる」のではなく「手の甲で相手の手を掴む」という発想の転換など色々な事を覚えていくためです。はずし(離脱)から更に「合気」に発展します。

 相手の手首を掴む技は一カ条立合でいうと、「一本捕」「逆腕捕」「車倒」「小手返」「四方投」とありますが、いずれも相手が崩れてから、もしくは崩しながら手首を捕ります。三カ条、四カ条ではもっと強烈な掴み方をしますが、握力に頼ってはいけません。指の使い方、急所への攻め、身体の使い方など様々な要素を使い、手の内は柔らかです。単に握力で掴むことは力みやすく、相手にもこちらの目的を悟られてしまいます。

 相手に感じさせない手の内は、剣や杖をやることで学ぶのが早道と思います。

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2010年4月 4日 (日)

見えないものを否定しない

 武道には目に見える形としての動きだけではなく、物理的(科学的)な要素と精神的(心や丹田の意識・・・)な要素が大きくかかわってきます。どちらも目に見えにくいものです。

 私は中国気功をやってから色々と変わってきました。目に見えないものを知り、自分の心と身体の動きを客観的に見ることが、ある程度できるようになりました。それで道場での準備体操にも様々な形で取り入れているのです。

 時間をかけても共通する基本的な身体と心の動きを得れば、たくさんある技をもっと楽に習得でき、応用が利くようになるでしょう。

 見えるものしか信じようとしない者、疑う者は一番困ります。少なくとも、ありえないと否定しないことです。

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2010年1月30日 (土)

大東流合気武道国井道場として

 新年早々ですが、私どもは「大東流合気柔術函館支部および札幌支部」を大東流合気柔術本部(本部長近藤勝之先生)に返上いたしました。                          

 これからは先師武田時宗先生に直門としてご指導いただいた大東流合気武道に戻り、「大東流合気武道国井道場」や「護身合気武道国井道場」の名称でやっていくことになりました。

 大東流をベースにしながら、体術に剣術や杖術なども加えて、より護身の面を強めます。そしてこれまで以上に身体の有効な使い方、心の使い方、気の作用を研究指導していきたいと思います。

 札幌教室も要望があり、時間の少ない中ですが「杖術」を取り入れることにしました。

 初心者にも有段者にも同じ事を教えることが多いと思いますが、修行してきた期間などで当然理解度が異なります。今わからないことも、いつかわかると信じて稽古してください。

 また、余分な力を抜いて楽しくやらなければ身体をうまく使うことができないと言うのが私の信条です。でも、馴れ合いにならず、真剣さと楽しさをコントロールしながら稽古してください。

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2009年12月14日 (月)

武研(武道研究会)においで

 日曜日に武道研究会を入れたことがないので、日曜日しか稽古に来れない門下生のためにと、先日13日(日)の予定に入れたところ、なんと3人しか集まらない。暮れの忙しさからとも思いますが、高度なことをやるのかと恐がっている人もいるのかな。

 体術はもちろん、普段なかなかやれない杖や剣を通して、気を練り、力に頼らない身体の操作などをじっくりと研究しようというもの。居合も大東流も、初心者も指導者クラスも関係なく参加できます。特に居合道だけの人は、敵との実際の間合いや、剣への力の伝わり方など身に付けにくい要素が学べます。

 先師武田時宗宗家が「剣をやらなければ大東流はよく分かりませんよ」と常におっしゃっていました。

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2009年11月17日 (火)

リセット

 武道に限らず習い事は、それまでの知識を一度リセットしてみるのも大切です。

ある程度の技を覚えたものは、新しい知識、技術を教えられたときに、

自分の知っている動きに当てはめてしまいがちです。

指導する者の説明能力が足りないのかもしれませんが、

表面の現れる形だけではなく、言葉にしにくい身体の奥の動きを

心を無にして「観の目」で感じ取ってもらわなければ

成長は止まってしまいます。

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